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東京大空襲から66年
焼け野原になった下町(石川光陽 撮影)

焼け野原になった下町(石川光陽 撮影)


1945年3月9日。
22時30分東京に空襲警報が発令された。

アメリカ軍編隊が東京上空迄来た為の空襲警報だったが、なぜかこの編隊は房総沖に消えて行く。
そして空襲警報解除。

深夜になってアメリカ軍は奇襲攻撃を仕掛ける様に東京上空に再び飛来。

日付が変わった3月10日0時7分の出来事だった。
325機ものB-29爆撃機がまず深川地区に焼夷弾を撒く。
編隊は移動し城東地区に。浅草地区、墨田地区には同時刻20分に大量の焼夷弾の雨が降った。

冬型の気圧配置であったこの日は季節風が吹いていて、炎は高度15000mの成層圏にまで達し、秒速50m以上という竜巻並みの暴雨風がさらに被害拡大させる。昨日の夜の天気も同じ様で、まさに強い季節風が吹き荒れ、その時の風の強さ等を想像させた。

隅田川に掛かる言問橋は対岸へ逃げようとする人々がこの橋上に押し寄せ、身動きができなくなっていた。
川に行けば火の手から逃げられる。そう両岸の住民は考えたからだ。

そこに火災旋風が橋の上にも襲いかかり、焼死した人、耐えられなく隅田川へ飛び込みそのまま溺死した人、凍死した犠牲者は数千人以上。
翌日には多くの犠牲者の遺体が川に浮かんでいたという。
言問い橋の親柱をよく見てもらいたい。
黒くすすけているのは、犠牲者の血と脂が焼け付いたものだ。
どの位熱く、そして苦しかっただろうか。

そんな犠牲者達の魂を救うため、浅草寺大平和塔にて、戦没者・被災者の追悼記念式典も今日の2時から行われてた。
又、浅草公会堂では11日まで東京大空襲資料展が行われている。
勿論あの石川光陽氏の写真も展示されている。

是非足を運び、あの日の出来事を深く胸に刻んで語り継いでいって頂きたい。

大空襲資料展
場所:浅草公会堂
日時:3月8日〜11日
時間:10時〜17時迄

東京浅草どっとこむ編集部

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