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ドヤ街山谷

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来週のアド街は山谷だというので、軽く山谷地区を紹介しておこう。
といっても、勇気のない私は山谷に住む方々にカメラを向ける勇気は無かったので、ショットはかなり少ない。

いろは会商店街にある元酒屋の壁画アート

いろは会商店街にある元酒屋の壁画アート

江戸の時代から木賃宿等が多く存在した地域でもあるこの場所は、今ではバックパッカーが安く泊まれる東京の宿が多く集まる地域として人気の在る地域でもある。

今年は明日のジョーの実写版が公開されたお陰で、注目の地域でもある。
この辺ではおなじみの※「土手の伊勢屋」や蹴っ飛ばし屋の※「桜鍋中江」を超えた辺りに※「いろは会商店街」という商店街が有る。

ここがいわゆる山谷への入り口。
今日は日曜と有って流石に人が居なく、お店も大分閉まっていた。
といっても最近じゃ山谷の住人が激減し、閉まってるお店は半分位。

日本が高度経済成長時代を迎えた昭和30年代などは、多くの出稼ぎ人夫がこの街に来て仕事を求め、多くの人がこの一帯に住んでいた。

山谷マンモス交番近く

山谷マンモス交番近く

昭和35年にはマンモス交番前で(今の日本堤交番)2,000人による暴動が有ったりと、当時は多くの日雇い労働者がこの辺りの木賃宿に住んで生活し、治安も余り良くない場所であった。
昭和の終わり頃迄、タクシーの運転手は夜の山谷だけは避けて通った地域。
何故かと言うと、当時”当たり屋”が多く出没したり、泥酔して道の真ん中に寝ている人が居たりと、とにかく日本のスラムの様な有様だったからだ。
今は不況により建築関係の仕事が無く、手配師も居ないので山谷に集まる人は殆ど居なくなった。よって、この辺の商店街は大分寂れていってしまった。

毎日この辺りでは昼間からやってる居酒屋が

毎日この辺りでは昼間からやってる居酒屋が

裏通りに入ると面白いネーミングの店。

「パチンコあたりや」とか「厚生食堂」なんて、何とも皮肉った店の名前。
なんとも昭和な裏通り。

パチンコあたりやと厚生食堂

パチンコあたりやと厚生食堂

話変わって、明日のジョーが最初に世に出たのが昭和43年。
東京オリンピックも終わり、日本は成長期のまっただ中。建築関係は日銭にもなったので地方から東京に仕事を求め、こういった山谷等で手配師を待ち、仕事を取っていた。

 

今の東京の基盤たる建築を担ったのがここに住む人達だったと言っても過言ではない。

涙橋

涙橋

 

この交差点は涙橋。
その昔、この先には小塚原刑場があり、橋が架かっていた。

小塚原刑場は処刑場。
罪人にとってはこの世との最後の別れの場であり、家族や身内の者には処刑される者との今生の悲しい別れの橋であった為に、涙橋と名付けられた橋。

今では何の変哲も無い交差点に様変わりしているが、この一帯にはこういった数々のエピソードが在る場所なのだ。

ちなみに何故この一帯がドヤ街と呼ばれていたかというと、宿をひっくり返した言葉で、人が住む場所でないという自嘲的に逆さまに読んだのが始まりで、ドヤ街と言われる様になったという。

必要に迫られ集まった人夫達。しかしあくまでも使い捨て。
そんな悲しい人達が集まった場所、それが山谷なのだ。

東京浅草どっとこむ編集部

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