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馬道振興会とは浅草寺の北東部に位置し、浅草松屋から旧吉原土手に向う、いわゆる旧浅草馬道、現在の浅草2丁目、花川戸1、2丁目にまたがる通り商店街のことである。
浅草馬道の由来は、古く江戸時代から遊客が馬を利用して新吉原へ通う道筋であったことから起ったともいわれるだけに、当時からすでに商家が立ち並んでいた。
道幅22メートルのいまの道路ができたのは震災後で、それまではいまの道路の半分に満たない狭いものであった。戦災で全焼するまでの当会の業種構成は呉服、足袋、袋物といった老舗が多くそれだけに由緒ある町のムードが横溢して賑わった。
当時の老舗といえば味喀屋の「万久」風呂屋の「大黒屋」などである。
戦後当会の様相を一変させた原因をたどると、戦時中の強制疎開が挙げられる。
その半分が該当したばかりでなく、二天門から東に直すぐ花川戸に通ずる、いわゆる二天門通り商店会の疎開による全滅などがあげられる。

以上述べた如く商店会の歴史はきわめて古いが、会が商栄会の名で組織活動をはじめたのは昭和5年頃のことである。

初代会長は恩田佐吉氏で2代目会長は富田松之助氏、ついで山本伊次郎氏が戦災をうけるまで3代目会長として活躍、戦後25年に再発足したときの4代目会長は平松嘉兵衛氏である。
ところで、商栄会が馬道振興会に改称したのは37年5月。 戦後の業種構成のなかには問屋などが大きくウエイトを占めていることから「振興会」と改めた。

5代目会長広野十朗、6代目会長富田亥重、7代目会長飯村秀雄、8代目会長富田亥重の各氏。現会長の木村昭光氏は9代目に当る。

なお当会通りは平成6年10月30日、約1年がかりで環境整備事業として念願の植樹とカラー舗装化の完成をみた。このまちづくりは馬道1丁目町会馬道振興会、あづま会、花栄会の4団体が昭和63年「馬道通り整備促進協議会」を結成、そして区議会に歩道の拡幅などを求め、「馬道通りの歩道拡幅と整備に関する陳情書」を提出したことに始まる。

その間5年余を経過、紆余曲折のあと今回の完成の運びとなった。
そこで協議会は解散したが、馬道振興会、あづま会、花栄会の三商会は共同イベントについて今後も協力し合う態勢を整えている。

浅草寺外周の通り会として初の環墳整備事業、落着いたうるおいのあるまちの印象は、浅草を訪ねる人々の心を提えて離さない。

東京浅草どっとこむ編集部

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