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オレンジ通り商店街振興組合

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オレンジ通り商店街振興組合は、浅草雷門通りの中ほどを公会堂方面へ曲り、新仲見世を抜けて伝法院南門に至る延長500メートルの商店街で浅草1丁目のほぼ中央に位置している。

当街周辺には明治初期まで浅草寺支院が軒を並べていたが、浅草寺門前町として発展した浅草雷門通りに鉄道馬車などが通じ、それに伴う公園六区興行街の賑わいで雷門通りと六区を結ぶ通路として明治35年頃には、すでにりっぱな商店街がつくられていた。当会の特長は明治40年頃から別名を「唐物横丁」といわれた如く、いまでいう洋品の専門店が多かった。当時は恰度、着物から洋服にうつり変わる時期で、いち早く洋品店に切りかえるトップセンスの店が軒を並らべ、今日「浅草の銀座通り」といわれる高い格調は、すでに当時からあった。その老舗をあげると「ミカワヤ」「勉強堂」「三浦屋」「ローヤル」「中清」「舟和」「冨士屋」「蝶屋」「孔雀堂」「雲井堂」などである。

なおオレンジ通り商店街がつくられたのは大正14、5年頃で初代会長は小林和助氏(先代舟和主人)である。
戦後は21年で、バラック建てにハダカ電球をつけ会活動を始めた。戦後の初代会長は藤関吉之助、2代目斉藤美登、3代目会長佐藤敏夫、4代目会長国立金次、5代目会長大谷正雄、6代目会長金子守孝、7代目会長小林晴男、8代目会長佐藤育男氏らである。また戦後で特記の会活動は、28年に設置した花壇、30年に建設したアーケードである。この花壇は都市計画家石川栄耀氏のモチーフから生れ、“花壇と音楽の商店街”イメージ作りに成功。 都内にその類例を見ないと高い評価を得ている。

昭和52年10月に浅草公会堂が完成したのを機に通りの名称を「浅草公会堂オレンジ通り商店街」と改称した。
更に、昭和62年8月に組織を法人化し「オレンジ通り商店街振興組合」として発足、初代理事長に佐藤育男氏が就任した。この法人化最大の事業は通り会の環境整備事業。
まず既存のアーケードを撤去、多くの植裁を配置し、そしてうるおいと景観美を誇るオープンモール街の造成計画であった。この意図は平成4年11月、早くも都市緑化基金による「緑のデザイン賞」として建設大臣賞を獲得、客観的な評価を受け、これが事業に弾みをつけるに至った。

この環境整備事業は5年8月に見事完成の運びとなった。この完成により、オレンジ通り商店街は浅草にふさわしい格調高い商店街の誕生となった。

オレンジ通り商店街振興組合公式サイト
http://www.orange-st.jp/

東京浅草どっとこむ編集部

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